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去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。
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海理/かいり:
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大学に入ってから読んだまともな本
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会わねばいやます恋心
2008/09/28(Sun) 01:02:22
歴史の資料集に載ってた『世界史対照年表』って図なのですが


(縦は地域区分・横軸が世紀)

日本強ぇぇぇぇぇぇ(一番下)極東の島国は伊達じゃない

国号成立が7世紀後半から8世紀当初までの間と考えられているため、
厳密な「日本」の成立は西暦700年前後(図の【日】の字のちょっと右くらい)
の出来事ということになりますが、にしてもなお
現在まで継続している国家としては最長の『国の歴史』を誇るという。
1000年以上国号も領土も変わってないとかなかなか凄いぜ。
(※戦中の満州と朝鮮半島は日本扱いになるようなので本当はちょっと違うのですが)
そういうわけもあって日本が大好きです。(二重の意味で)

ぁ、私の愛するエジプトは他国との比較が意味をなさない時代
もとい他国なんて中国くらいしか存在しねーよ、という時期に栄えていたため
左端の方に1cm=1000年くらいの詰め込み方でまとめられてしまいました。
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中国大返し
2008/09/18(Thu) 23:17:01
天下統一を目前にして、光秀に討たれた信長。

その光秀は、続いて当時中国地方で毛利元就と戦闘中だった秀吉を討つべく
毛利軍に協力を要請するための使者を送る。
毛利軍と明智軍で豊臣軍を挟み撃ちにしたうえでこれを破り、
信長勢の長への足掛かりにしようと考えたゆえである。

ところが、肝心要の使者が道、及び人生の分岐点で迷子になり、
こともあろうに豊臣軍の本陣へと入って行ってしまう。
捕らえられた使者が隠し持っていた密書には、
光秀の裏切り、そして何より信長の死という、
戦国の世を揺るがす重大な事実が記されていた。

それを見た秀吉は、諸所の事情によりなんとしてもこの事実を隠し通すことを決意。
直ちに元就と休戦協定を結んだのちに、自らが率いる家臣にこう呼び掛けた。
“殿は攻め入られたが無事である。謀反人明智光秀を討つべし”

主君の敵討ち及びそれに伴う立身出世に燃える豊臣軍は、
備中から京までのおおよそ二百kmをわずか六日で駆け抜け、光秀を討つ。
信長勢が京へと攻め入ってくるまで、早くて一月はかかると踏んでいた光秀は
思いもよらぬ奇襲に遭った形になり、三日天下はあえなく終わりを迎えた。

なお、光秀は落ち延びる途中でそのへんの土民に殺されてしまったとさ。



本当かどうかは定かでは無いが、常識的に考えてあまりにも
ねーよw
ってことがほいほい起こるのが歴史の恐ろしさだと思うんだ
10:32
2008/08/15(Fri) 10:33:57
階段が目の前に(・∀・)
5:26
2008/08/15(Fri) 05:27:51
出発するぜ!

何においても本気の馬鹿ほど怖いものはないですね
話をするたびに最終的には「お前馬鹿じゃね?」と言われる旅行ってなんなんだろう



↑ルクソールにあるラムセス3世の葬祭殿に残る壁画の一部です。
Nさんが見たいと言って下さったので載せてみるよ!
ラムセス3世は新王国時代第20王朝のファラオ。
ラムセスの名を持つ中で最も有名なのはアブ・シンベル神殿を造ったラムセス2世だが、
彼は自己顕示欲が強かったことでも知られており、
自分で建造したものはもちろん行く先々の神殿で、自らのカルトゥーシュを
時には自分以前のファラオのものを消してまで刻みつけている。

そんな偉大なる先代(2世の死から3世の即位までには30年の間があるが)を
見ているからか、ラムセス3世は自らの名が将来削られることのないよう、
レリーフでは名前だけを非常に強く彫った。
周囲のレリーフと比較しても、その差は一目瞭然である。
更には通常しっくいを塗ってから彫られるレリーフを
神殿の石材に直接彫り付けることによって、上書きを事実上不可能にした。
神の子たるファラオ達がいかに自分のことしか考えてなかったかが分かるようだ。
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