去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。 日々のつれづれから801トークまで 無秩序に記事が書かれています。 回覧は自己責任でお願いします。 海理/かいり: 大学院生。 フランシス兄ちゃんと誕生日一緒。 ◇好きなもの ・SEED/DESTINY/00 ・Sound Horizon ・YGO(DM) ・APH ・艦これ ・アスキラキラアスアスシン カヲシン古キョン闇表ロク刹 朝菊独普独BA青黒 ◆目下夢中なもの ・島国同盟 ・榛名ちゃんと加賀さん ・日本は俺の国 ・英国は俺の嫁
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大学に入ってから読んだまともな本
買った本とか色々 |
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2025/01/19(Sun) 21:28:15
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中国大返し
2008/09/18(Thu) 23:17:01
天下統一を目前にして、光秀に討たれた信長。
その光秀は、続いて当時中国地方で毛利元就と戦闘中だった秀吉を討つべく 毛利軍に協力を要請するための使者を送る。 毛利軍と明智軍で豊臣軍を挟み撃ちにしたうえでこれを破り、 信長勢の長への足掛かりにしようと考えたゆえである。 ところが、肝心要の使者が道、及び人生の分岐点で迷子になり、 こともあろうに豊臣軍の本陣へと入って行ってしまう。 捕らえられた使者が隠し持っていた密書には、 光秀の裏切り、そして何より信長の死という、 戦国の世を揺るがす重大な事実が記されていた。 それを見た秀吉は、諸所の事情によりなんとしてもこの事実を隠し通すことを決意。 直ちに元就と休戦協定を結んだのちに、自らが率いる家臣にこう呼び掛けた。 “殿は攻め入られたが無事である。謀反人明智光秀を討つべし” 主君の敵討ち及びそれに伴う立身出世に燃える豊臣軍は、 備中から京までのおおよそ二百kmをわずか六日で駆け抜け、光秀を討つ。 信長勢が京へと攻め入ってくるまで、早くて一月はかかると踏んでいた光秀は 思いもよらぬ奇襲に遭った形になり、三日天下はあえなく終わりを迎えた。 なお、光秀は落ち延びる途中でそのへんの土民に殺されてしまったとさ。 本当かどうかは定かでは無いが、常識的に考えてあまりにも ねーよw ってことがほいほい起こるのが歴史の恐ろしさだと思うんだ PR |