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去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。
日々のつれづれから801トークまで
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海理/かいり:
大学院生。
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逆境にまさる教育はない。
2009/10/04(Sun) 00:59:01
どうも!塾の世界史でようやくWWIが終わりました!
日英同盟が何の前触れも痕跡も残さず
完膚無きまでにスルーされたのは哀しい限りですが、
海上封鎖とかやってる合間に乳繰り合ってんだろと
思っておくことにしたので別にいいです。

WWIの参戦模様から見る同盟国側の勝利の可能性について

【同盟国】
ドイツ
 :1910年代に英工業生産額を追い抜いた後発帝国主義国・軍隊は強い
オーストリア
 :最初に宣戦布告したヤツ・ドイツのことは裏切らないが
  軍隊にはプロイセンと戦争して7週間で負けた過去がある
オスマン帝国
 :最近領土が減り続けている老大国
  第一次バルカン戦争でバルカン同盟に負けてドイツに接近
ブルガリア
 :7年前にトルコから独立したばっかの東欧の国
  第二次バルカン戦争でセルビアその他に負けてドイツに接近

【連合国】
イギリス
 :欧州一の海軍と植民地帝国を有する工業国
  後発国の追い上げで「世界の工場」の地位は揺らぎ気味
フランス
 :第三共和制に入ってからは国内が安定
  負け続けた過去は何処へやら今やイギリスに次ぐ植民地大国
ロシア
 :後発帝国主義国・多分世界一の陸軍を有する
  民衆が抑圧されているので戦争中に革命が勃発し戦争続行不可になることがままある
セルビア
 :パン=スラヴ主義を掲げる東欧の国
モンテネグロ
 :同上
ルーマニア
 :同上
日本
 :先の戦争でロシアに勝利したアジアの後発帝国主義国
  漁夫の利的にアジアの独領を狙う
イタリア
 :自国領土回復のため三国同盟をあっさり抜けて連合国に
  ちなみに軍隊には期待出来ない
アメリカ
 :豊富な資源と物資を有する現・世界一の工業国
中国
 :帝国主義国のケーキ

【総評】
無理だよね

実質連合国vsドイツだからねこれでは
しかも同盟国ってこの4ヶ国だけなんだけど
連合国って全27ヶ国いますからね
フルボッコにも程がありますからね
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↑ナポレオン様の名言である。
世界史の授業中散々先生がアピールしていた覚えがあるものの
「フーン(´_ゝ`)ところでこれどういう意味なん?」
と長らく思ってたものなのですが(クソすぐる)、それが今日解決致しました。

これは半島戦争(1808~1814・スペイン独立戦争とも)を受けて発せられたもので、
半島戦争とはナポレオンがプロイセンぶん殴ってヒャッホーウ!ってしてた矢先に
スペインで起きた戦争。

余談ですが、イエナの戦い(1806.10)でフランスに負けたプロイセンが
フランスと結んだティルジット和約(1807.7)は、何処に登場してもテンプレのごとくに
屈辱的なティルジット和約」
と表現されていて、どんだけ屈辱的だったんだよwといつも思ってしまいます。
領土半分掠め取られた上に賠償金まで払わされたわけだから
確かに大層屈辱的ではありますが、そんな例は他にいくらでもあるわけで
なんでここだけわざわざ…と考えた挙句に
ああ仏普フラグなんですね分かります^^に落ち着いてしまう^^

脱線しましたが、その半島戦争は何故起きたのかといいますと、
スペイン=ブルボン王家が継承争いでごたごたしていた時に、
ナポレオンはそのごたごたに紛れてブルボン家を廃し、
兄のジョセフ・ポナパルトをスペイン王につけてしまったからです。
スペイン民衆はそれに反発して反乱を起こし、ポルトガルとイギリスがそれに加わり、
一旦はナポレオンによって鎮圧されるものの、
後にイギリス軍がスペインに再上陸。
各地のゲリラも本格的に加わって戦争は泥沼化し、
最後にはフランスは敗北します。
ゲリラ戦は悲惨なものだったようで、この戦争中の一場面を描いた
ゴヤの『五月三日』とか有名ですね。

ナポレオン帝国の支配に対して、最初に起きた大規模な反乱であり、
ナポレオンはこれで莫大な戦費と多数の有能な人材を失って、
以降失脚への道を歩むこととなります。
(モスクワ遠征失敗→ライプチヒの戦いでパリ陥落→皇帝退位)
そのため、のちにセント・ヘレナ島で自らの人生を省みたナポレオンをして
「スペインの潰瘍が私を破壊した」と言わしめたのですね。

スペインってバリバリのカトリックだし、そのうえ同じ王家だしで
ここまでは結構フランスと仲良かった国なので、
これ以降の仏西関係が大変気になるところですが、
こっから先はスペインが本格的に世界史から姿を眩ますのでよく分かりません\(^o^)/
せいぜいアメリカにフロリダ売ったくらいしか出番が\(^o^)/
Sedan
2009/08/02(Sun) 21:52:21
おもむろに考えるエムス電報事件


('A`)オットー・フォン・ビスマルク
   ドイツ統一を目指すプロイセン首相兼外相

(´ゝ`)ヴィルヘルム1世
   武人気質のプロイセン国王

(^▽^)ナポレオン3世
   最近遠征が上手くいかずムシャクシャしているフランス国王

(><)ベネデッティ
   とばっちりくったフランス大使

(´ε`)レオポルド
   ホーエンツォレルン家でスペイン王位継承者候補
   


(´ゝ`)普墺戦争に勝利し我がプロイセンは北ドイツ連邦の盟主となったわけだが、
   列強に対抗していくことを考えると
   南ドイツの諸邦もこちらに組み込みたいところだな
('A`)そのお言葉はもっともですが陛下
   南ドイツ諸邦はオーストリア寄りの旧教徒の多い地
   新教国である我がプロイセンが強引に組み込もうとすれば
   反発してオーストリア側につくものも出るでしょう
   ここはしばし待つのが得策かと
(´ゝ`)して、しばしとはいつまでだ
('A`)(分からないからしばしと言ってるのが分からないのかこの王様)
   南北ドイツが団結するようなことといえば国を挙げての戦争でしょうが
(´ゝ`)よろしい ならば戦争だ
('A`)ちょっ
   我が国が他国に戦線布告したとて他が着いてくるとは限りませぬ
   開戦の理由がないのですから
(´ゝ`)ではどうするのだ
('A`)ですからしばし機を……

その頃、イベリア半島のスペイン王国では革命が起き
空位になった王位にはプロイセン王族レオポルドの即位が内定していたが
それをよしとしない人物が居た

(^▽^)ちょ、スペインとプロイセンが繋がったら挟まれるじゃん
   これはまずい

ひとまずレオポルドとの交渉に赴くナポレオン3世

(^▽^)王位継ぐのやめてくれない?
(´ε`)いっスよ
(^▽^)やった!

(><)よかったですね陛下
   これで我がフランスも安泰です
(^▽^)うん
   だから君、ヴィルヘルムのとこ行ってこれにサイン貰ってきてよ
(><)え、お言葉ですがここまでするのはさすがにしつこいのでは…
(^▽^)平気平気
   余の辞書にやりすぎの文字はない
(><)(もうだめだこの国)

しかし命令は命令なのでフランス大使はヴィルヘルム1世のもとへ向かうが
生憎なことに王は旅行で留守だった

(´ゝ`)やはり温泉というのは最高だな
   小煩いビスマルクも居ないことだし
   はるばるエムスまで来た甲斐があったというものだ
(><)おくつろぎのところ大変申し訳ないのですが
(´ゝ`)む、何奴
   余が温泉でまったりしていると知っての狼藉か
(><)フランス国王よりの文書で御座います
   あの、私も仕事なんで、すみませんがサインお願いします
(´ゝ`)ならばその文書とやらを見せよ
(><)あ、はい

 未来永劫プロイセン関係者を
 スペイン王位に
 つけないことを誓います
 _________
 ↑ここにサインしてね(^▽^)

(´ゝ`)…………
(><)なんか…ホントすいません……
(´ゝ`)こんなことのために手間を取らされるとは全くもって不愉快だ
   もう帰る
Σ(><)

一方、ベルリン

('A`)王からの急ぎの電報とは…良くない知らせでないといいが
(´ゝ`)《エムスでのんびりしてたのにフランスの馬鹿に邪魔されて超サイアク!
    アイツのしつこさホント異常マジ殴りたい
    あまりにムカついたからお前にも伝えとく》
('A`)(なんだこのテンション……)
   しかしこれは使えるかもしれない

(´ゝ`)今戻った
   この度の事件は国民に発表したか
('A`)はい陛下
   これがその内容に御座います

 休暇中のプロイセン国王の元に
 スペイン王位継承問題の会談のため
 フランス大使が訪れた
 大使は行く先々で国王を追いかけまわし
 脅迫まがいの手で同意を迫ったので
 国王は使者を追い返した
 ドイツ国民よこれが許せるか

(´ゝ`)余が送ったものと大きく違っているではないか
   お前の意図を聞こう
('A`)(あれそのまま発表させるつもりだったのかよ)
   これで国民のフランスへの敵愾心を煽るのです
   更にあのナポレオン3世のことですから
   これを見れば向こうから戦線布告をしてくるやもしれませぬ
   そうすればドイツ一丸となっての戦争
   ひいては統一に繋がりましょう
(´ゝ`)さすがは我が国随一の宰相
   冴えておるな

ビスマルクのこの目論見は当たり

(^▽^)ちょwwここまで言ってねえwwwww

ナポレオン3世はあっという間に宣戦布告。
ところが兼ねてより対フランス戦に備えていたプロイセン軍にボロ負けし、
パリ占領されたうえにアルザス・ロレーヌかっぱらわれて戦争は終了。
フランスのお隣にはめでたくドイツ帝国が誕生し、
以後ぐいぐい力を付けていくのでした。
今日俺の女神っていうかかおちゃんに教えてもらったんだけど

日普修好通商航海条約

というものが結ばれていた過去があるらしいですね。
聞いたことすらなかったのでちょっと調べてみた程度では
あまり情報は得られなかったのですが、ひとまず
ドとか付けたくなるほどのマイナー条約であることは分かりました。
(Wikipediaに記事が存在しない程度)
さすがに英語ならいけるだろと思ってPrusso-Japanese Treatyで検索したら

もしかして: Russo-Japanese Treaty

とかグーグル先生に言われちゃったからね。
親切は有難いですが違います。

時のプロイセン外交官はフリードリヒ・アルブレヒト・オイレンブルク伯爵。
(Friedrich Albrecht zu Eulenburg)
1859年、東南アジアや東アジアとの通商を目的とする
プロイセン東アジア遠征艦隊司令官兼全権公使に任命されアジアへ出発.
60年(万延元年)のオイレンブルク使節団として日本来航。
61年幕府と日普修好通商条約(Prusso-Japanese Treaty of Amity and Commerce)を締結。
締結日は1861年1月24日、日本が他の欧州列強と結んだものと同様の不平等条約でした。


もう一つかおちゃんから聞いたちょっぴり泣ける話は、
プリントに書かれていた(と思われる)
『日普修好通商条約の10年後にプロシアがドイツ統一』
という文を見た生徒2人の間で

('A`)<え、プロ…プロアシア?って何?
(´ゝ`)<プロアシアじゃなくてプロシアじゃないの
('A`)<じゃあプロシア?って何、人?国?
(´ゝ`)<知らないけど国じゃん?で、プロシアがドイツに変わるから、
     日普修好通商条約が日独修好通商条約になるんだと思う

という会話が取り交わされていたという事実です\(^o^)/
プロアシアって名前妙にかわいいな^^


米日なのか英日なのかはっきりして欲しい協約名です\(^o^)/
(情報提供:かおちゃん)


南北戦争とかで中国進出に乗り遅れた米国が満鉄の中立化を提案
米「どうせならみんなで共有しようじゃないか!」

各国、当然ながら反対。
日「いや、それはちょっと…私の方にも支障が…」
露「やだなーアメリカくんったら。それはないよね」
英「今更何言ってんだ。駄目に決まってんだろ」

イラッ([∂]ω[∂])

関係悪化を懸念した日本が妥協して協約を結ぶ
日「まああまりアメリカさんと関係が悪くなるのも困りものですしね…」

という流れらしいんだが、なによりネーミングのぶっ飛び加減が^^なんで紳士wwww
しかし日本からの移民を制限したところで、肝心の満鉄は依然日本のものなのでは…
一体何処が譲歩になったというんだろう…
一つもくれない満州利権(1907年)と覚えましょう(・∀・)b
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