忍者ブログ
去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。
日々のつれづれから801トークまで
無秩序に記事が書かれています。
回覧は自己責任でお願いします。

海理/かいり:
大学院生。
フランシス兄ちゃんと誕生日一緒。
◇好きなもの
・SEED/DESTINY/00
・Sound Horizon
・YGO(DM)
・APH
・艦これ
・アスキラキラアスアスシン
 カヲシン古キョン闇表ロク刹
 朝菊独普独BA青黒
◆目下夢中なもの
・島国同盟
・榛名ちゃんと加賀さん
・日本は俺の国
・英国は俺の嫁
calendar
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
search
booklog
大学に入ってから読んだまともな本
買った本とか色々
[PR]
2025/01/20(Mon) 04:52:37
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

DEATH NOTE page.37 『新世界』
2007/06/30(Sat) 03:18:48
月が最期の最後に思い出したのは家族でもミサでもなくLでした。
精神の死も肉体の死もLと一緒か。ついでに死に方も一緒だったな。
ホント大好きだよねLのこと。
特にニアが現れてからそれに拍車がかかった気がするよ。

憶えてる限りの原作との変更点

・魅上が神を見捨てる描写がないままに自殺
 「あんたは神じゃない」とかそんな感じの台詞がありませんでした。
 『月に絶望して自殺』か『月の計略が自分のせいで失敗したことを悔いて自殺』
 どちらともとれるような描かれ方でした。
 ちなみにペンで心臓を一突きみたいな壮絶な死に方。

・月が倉庫から逃亡
 これがやはり一番の変更点かと。
 松田に撃たれた月は皆が魅上の自殺に気をとられているうちに倉庫から逃亡します。
 埠頭沿いを逃げる月に
 「あの怪我ではそう遠くまで逃げられないでしょう」というニア。
 どうもいいがニア、月がもうデスノートの切れ端等を持ってないってのは
 何故断言出来たのかしら? 持ってたら絶対ニア殺されてるけど?
 ジャケットに隠してたかもしれないし、靴とかベルトのバックルとか隠し場所はいくらでもあった。
 まぁ月は持ってなかったからいいんだけど。
 "キラが捕まりさえすれば自分は死んでも構わない"というのは
 ニアらしくない考え方だと思うのだけど。

・ミスター相沢のニアへの態度
 「逃げた夜神月は追わなくてもいい」みたいなことを言うニアに
 「君の指図は受けない」というミスター。
 原作ではすっかりニア色に染まっていらしてなんだコイツ消えろな感じでしたが
 最後まで月のことをキラであるよりも前に、
 ずっと一緒に捜査してきた仲間として見てくれていた感じで良かったです。嫌いだけど。
 あと、亡き局長を侮辱した月を憎々しげに撃ちまくってた松田が
 月が逃げようとするのを見たときに
 「月くん!」って普段通りの声で言ってたのがどうにも物悲しかった。
 逃げた月を皆で探してくれたりして、例えキラであったとしても、
 夜神月は大切な仲間だと思っているのには変わらないんだね。
 原作の月は誰も味方が居なくなって死んでいったので、嬉しかった。

・過去の月と擦れ違う月
 夕焼けの中、フェンス沿いを逃げる月が高校生の時の自分の幻覚(?)を見ます。
 一応調べたら1話の絵でしたね。
 こんなことになるはずじゃなかった。
 ノートを拾った当初とは変わり果ててしまった自分。
 どこで間違えたのかは分からないけれど。
 加害者であったはずの月もまたデスノートの被害者なのだと思わせるシーンでした。
 ノートを拾いさえしなければ立派な父上のあとを継いで警察官になって、
 それこそキラ事件をLと一緒に捜査とかしたかもしれなかったわけですものね。

・月とリュークの会話カット
 「死にたくない」とかあのあたりは丸々ありません。
 同じような台詞はデスノートに月の名前を書き込み中のリュークの独白になってます。

・月の死
 逃げた末に辿り着いたまた別の倉庫みたいなところの階段で横たわっていたら
 心臓麻痺で死亡。
 殺したのがリュークだってのには代わりないですけれど。
 瞳を閉じる直前に月はLの幻覚を見ます。
 これは月とLの物語だったのだということを印象付けるラスト。
 結局のところ月はずっとLと戦ってきたのだ、と。
 ニアもメロも可哀想にw

・ミサたん
 場所は分かりませんが、ビルの屋上の柵より外に立つミサ。
 このあとどうなったかは描かれません。
 原作では月の死より1年以上あとのバレンタインに寿命が尽きて死ぬはずですが。

変更点については色々言われているんですが、
神になれると思い上がった哀れで惨めな人間の最期 を描いた原作と
神に近しい力を手に入れた所為で全てを狂わされた哀しい人間の最期 を描いたアニメと
どちらもありだとやっぱり思います。
月派の私としてはアニメの方がすきでしたけど……!
  

追記はなんかもう思いが溢れてプライスレスみたいな(なにそれ)デスノ語り

第一部と第二部で夜神月が目指すものが大きく違ってしまったのに
Lの死が深く関係しているのは自明であると思います。
Lと戦っているときはまだ、彼にはいくつかの未来が見えていました。
大きく分ければそれは、キラが勝つか、Lが勝つか。
『Lに負ける』その可能性も常に思考の片隅にはあったはずです。
もちろん月としてはLに負けるつもりなどなかったでしょうし、
Lを殺してキラが正義となるのが彼の理想でもありました。
けれど、月がデスノートを使い始めた/試そうと思った理由は
「退屈だったから」。
月がLと戦ってきたのは、
新世界を創るためなどとは言っても結局は退屈しのぎであったのだと思います。
危険で高尚なゲームの連続。
一歩間違えるだけで大きく変わる情勢。
それはどれほど彼の欲求を満たしたことでしょうか。
仮にLに彼がキラとして敗北することがあったとしても、
第二部の終わりのように発狂することも、
無様に死神にすがることも無かったと思うのです。ぃゃ推測だけど
楽しめたから。
捜査本部から連行される最後の二人のやりとりが
「僕というキラが消えたとしても、またいつかキラの意志を継ぐ者は現れる」
「その時はまた私が捕まえます」
「――楽しかったよ、名探偵」
「――私もですよ、月くん」とかだと萌える てゆか月くん呼びに萌える

しかし、Lが死んでからは己の欲求を満たす存在が無くなった。
それにより、それまで大義名分でしかなかった
『新世界』が彼の最大目標に取って代わってしまった。
見えている未来は、それしかなくなってしまった。
二年という歳月は、そうなるのに充分過ぎるほど長かった。
新世界を創らなければならないと思い込むにも、
自分を止められる人間は居ないと思い込むにも。

Lの死と同時に死んだ夜神月の心。
唯一の競争相手、L。
唯一認めた人間、L。
『ともだち』と云う言葉にも似た存在。
殺してようやく、夜神月は気付いた。
「殺せるほどに憎かったのか」と。
退屈しのぎにと始めた遊戯。
後付けの理由。
退屈を緊迫へと変えた名探偵。
唯一にして絶対、ようやく自分と対等だと思える人間が見付けられたのにも関わらず、
目的の為に殺してしまった。そんな人間すらも殺せた。
ともだちを殺してまで、創りたいほどの世界があったのかと。
その世界はともだちを殺してまで、創りたいほどのものだったのかと。
それでも、正義と理想の為に進む自分を止められる人間など、もうこの世界には居ない。

「Lすらも殺せたんだ…――理想の為なら、なんだって出来るよ」

進むしかない。
それがLの死に報いるということなのだから。
その決意がLの死の代償なのだから。


一番月を止めようと思っていたのはLだと思うのですよね。
そりゃ総一郎さんだって知ってれば全力で止めるだろうけれど、
結局実の息子を疑うことなんてしなかった。
でもLは、何があっても信じるでもなく、どこまでも月を疑って、監視して。
「私の初めての友達」発言にも見られるように
Lにとっての月も月にとってのLと同じ様な存在だった。
だからこそ、その危険性が分かった。似た存在だからこそ、止めたかった。
キラは捕まえなければならない絶対悪だけれど、
夜神月はそうではないから。
ニアは夜神月を止めたいわけじゃないキラを捕まえたいだけ。
でもそれは夜神月を捕まえることと同義だ。
そうなるまえに。
それしかできなくなるまえに。


オチとまとまりが無いなごめんなさい。いかにも書きたかっただけっぽい
PR
忍者ブログ [PR]

Designed by A.com