去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。 日々のつれづれから801トークまで 無秩序に記事が書かれています。 回覧は自己責任でお願いします。 海理/かいり: 大学院生。 フランシス兄ちゃんと誕生日一緒。 ◇好きなもの ・SEED/DESTINY/00 ・Sound Horizon ・YGO(DM) ・APH ・艦これ ・アスキラキラアスアスシン カヲシン古キョン闇表ロク刹 朝菊独普独BA青黒 ◆目下夢中なもの ・島国同盟 ・榛名ちゃんと加賀さん ・日本は俺の国 ・英国は俺の嫁
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大学に入ってから読んだまともな本
買った本とか色々 |
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2025/01/18(Sat) 20:12:01
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映画遊戯王を観に行った
2017/01/21(Sat) 15:42:53
映画遊戯王を観に行った
やばかった みんなぜひ観に行こう そう思って書き始めたのが4月30日だったのですが、また観に行っては書き足しているうち早くも6月となり、7月となり、8月となり、9月となり、10月となり(中略)映画の公開も終わってしまいました なんか映画館に行きさえすればいつでも観られるような気がしてたのに…虚無感… 以下はネタバレを好き勝手に書いておきました 映画遊戯王のここがやばい ・社長が執念深い ・執念深いとかいう一言では言い尽くせない 海闇も闇海もそれなりに読んできた腐女子から見ても、「社長王様好きすぎるでしょwww」とか茶化す気には毛頭なれなくて、ただ社長の真摯さに胸打たれるというか、ああこの人は好きとか嫌いとかじゃなく、魂がファラオを、彼のデュエルを求めて止まないし彼と再び闘うことが生きるための原動力そのものなんだと感じさせてくる ・モクバくんへの思いもそりゃー尊いものだと思うんだけど、王様への思いはもっと切実で狂信的で、なんかもう…恋やら愛やらそういうやつではないよね…信仰…? ・だから最後の最後にファラオと社長が対峙して、それぞれがニヤリとするシーンは、あああああこれでようやく社長の長年(多分1年くらいだけど)の悲願が叶ったんだ、態度にこそ出していないけれどその高揚感はいかばかりであろうかと思って、嬉しいやら高まるやら彼らのデュエルの先にあるだろう真の終わりを感じてしまうやらで心臓が締め付けられるような気分になったまま映画終わった ・そして当然のことながら、王様もとてもとても嬉しいんだろうな ・全体的に海馬コーポレーションのスケールがでかすぎて笑いを堪えきれなかった 宇宙エレベーターとか ・でも馬鹿馬鹿しいほどの設備もそれもこれもただただ王様に再び会うためなのかと思うと(以下同文) ・どんな理由付けをして王様を冥界から連れ戻す/呼び寄せるか、という点は王帰還後の二次創作で越えなきゃいけない最大の壁だと思うんですが、連れ戻すんじゃなく自分から行けばいいんだっていうことにはこの映画を観るまで気付けなかった ・てか、何の疑問もなく最後のファラオは『現世で遊戯と共に在ったアテム』だと思ってたけど、別にそうじゃない可能性だってあるわけでしょ?あくまで試作機だし。 でも、最後の社長のあの表情が、目の前に居るのは探し求めていたあのアテムだと確信していると、誰に証されずとも社長にはそれと『判る』のだということを、もう如実に表していてさ…良かったよね… 日本語力が低くて恐縮なんですけど、「終始無言の場面であるにも関わらず、社長が『奴こそアテムだ』と確信していることが、視聴者にも確信できる」ここから更に「社長がアテムだと認めたということは、最後に映ったファラオは間違いなくアテムなんだといえる」という点が改めてとてもイイ…アテムという存在に対する圧倒的認識能力の高さ……信頼と実績のアテムレーダー、それが海馬瀬人 ・相棒が格好良くなっている ・デザイン画の時点から分かってはいたけど、相棒は顔つきが以前よりきりりとしていて、王様にちょっと近づいた感じもあり、物腰も落ち着いていて、なんか杏子ともちょっといい感じで、服装も大人っぽくなっていて、なんだか…成長したなこの子ってかんじ… ・王様が居なくなったあとの相棒が公式でしっかり描かれたのは初めてなわけですが、彼の中に王様と過ごした月日やその経験はしっかりと息づいていて、人生を前進させていく糧になったのだなあと思う すげえ尊い ・王様のことを忘れようとしているわけじゃないけど、思い出すのがつらいからあまり考えないようにしている遊戯さんに、城之内くんが「無理に忘れなくていいんじゃねえの?」って声かけるところもすごくすごくすごーくキャラクターのイメージ通りというか、そう相棒はひたむきで頑張る強い子だけどちょっとめそめそするところもあって、そういうところをフォローしてくれるのは城之内くんなんだよな~~~~圧倒的な光で相棒を勇気づけ導く王様だけど、だからこそ包み込むような優しさというか、一緒に進もうぜみたいなやつはやっぱないからさ~~~~やっぱ王様はほら遊戯にとっての導き手なんだよね 「着いてこいよ、相棒!」ってスタンスでさ 一緒に歩いているけど、常に王様がリードしている でもそれに対して城之内くんは相棒にとってどこまでも対等な親友なわけだよね 自分をぐいぐい引っ張っていくのではなく、ただ認めてくれる城之内くんが居るから、弱音吐いたりも出来るのだ…うーん最高 ・だから相棒は城之内くんにはできるけどもう一人のボクにはできない話とかあるんだろうな 最早映画の話じゃなくなってきた ・卒業式の相棒、学ランの前を閉じているのがレアかわすぎて悶絶した ・黒シャツにゴーグル付きヘルメットの相棒もくそかわです ・王様はデュエルしてた ・かと思ったら海馬の妄想世界だった ・社長の執着がやばい…デッキから戦術から口上まで、どんだけ王様のこと知り尽くしてるんだ… ・「人の神経を逆撫でするような態度も奴に生き写し」とか言ってるけどそれあんさんの記憶やでぇ ・社長、再びアテムとデュエルして今度こそ完膚なきまでに叩きのめすことが生きる目的なのに、それと同時に、何があろうとアテムが自分に負けることは許さないみたいなこの矛盾…たまらん… ・ところで、このデュエルわりと序盤で行われるのだけど、でしゃばりに定評ある王様なのでどうせ終盤でまた出てきて相棒に代わってデュエルするんやろと思ってたらそんなことはなかった…だから2回目に行ったときはもっと舐めるように王様のデュエルを眺めた… ・でもラスト出てきた 今もアテムは遊戯とともにあるのだ 最高の解釈かつ演出だった (※初見ではこう思ったけど、あれは『遊戯の中に今もともにあるアテムの影』ではなく、純粋にアテム様そのものだろうと考え直した 後述します) ・でしゃばりの王様なのに喋らないところも良かった 本当に名演出だと思う ・「それはどうかな?」 ・王様のデュエルは格好いい 自信に満ちていて、挑発的で、人の上に立つ者の戦いという感じ ・社長が相棒を一人のデュエリストとして認めていると明言したのが嬉しかった ・それと同時に、社長が固執しているのは『自分と対等に渡り合える好敵手』ではなくて『アテム』という一個人なんだということをはっきりと思い知らされた 社長にとって王様は他ならぬ自分が認めた誇り高き決闘者であり、作中にそのように称される人間が他に出てこない(社長が実力を認めた人が居ない)から、だからこそ王様は社長にとって特別な存在たり得たのだと思っていたが、今回、相棒を確かに認めたにも関わらず王様を求める態度に何ら変化がなかったからね ・これまでの妄想では、アテムが還ったあと、社長(※アニメと異なり、原作では闘いの儀を見届けていない)は相棒にええい貴様なぜ奴をみすみす冥界に還したんだアテムを出せと詰め寄って、なんやかんやあって相棒と海馬がデュエルすることになって、相棒じゃ話にならんと思ってたのになんかわりと追い詰められて、なんかぎりぎりくらいでわりと地味な方法で社長が負けて、姑息な奴めがぐぬぬぬぬと悔しがる社長に、「ボクには、アテムと同じ戦い方はできない。でも、彼のデュエルはずっと見てきたし、一緒に戦ってきたんだ。海馬君にだって、そう簡単には負けないよ」みたいなこと言われて、その時確かに相棒の中にアテムの影を見出して、そうか今も王は遊戯と共にあるのかみたいに思って、相棒の実力を認めたうえで、アテムはもう居ないことをようやく認めて、次のステージに向けて歩みだす…みたいな感じだと思ってたんだけどね~~~~~ ・アテムが還ったことに納得いかなくて、奴を出せと詰めよって、相棒とデュエルして、相棒の実力を認めて、アテムがもう居ないことを認めるとこまでは予想と丸同じだったけど、そこから進む次のステージが違いすぎた 冥界だった ・それにしても「貴様もまた…誇り高き決闘者だった!」と言うシーンの演出・演技・作画の素晴らしさといったらない 特に作画がいいと思います 皆さん見ましたか あの社長の嬉しそうな表情を 狂気を孕んでいない純粋な笑顔を あの顔見られただけでもホント価値ある映画だよ いや~~表海派(もしくは海表派)の人達はこのシーンのこの台詞一つでどれほど救われたんだろうかと胸が熱くなるよね~~~~~~~~いやホントにさ…この台詞は重いよね…意義深すぎる… ・ファラオの微笑みがやばい 神々しいもんな 演出もイイヨネ お互い喋らず、音だけがしていて、最後に重々しいSEとともに暗転して終わるのがいい ここで映画が終わるものですから、終わった瞬間には早くももう一度観たくなってるというね この微笑み見られただけでもホント価値ある映画だよ ・古代エジプトの死生観では、人は死後も生前と変わらぬ生活を送るとされているので(だから肉体を永遠に残しておきたくてミイラとか作るし、使ってた家財を副葬品にしたりする)、アテムは冥界ではファラオである。 冥界に還るということは、ファラオとしての人生の続きを送るということで、記憶が戻った以上、それはそれで懐かしく、「本来あるべき場所に遂に還ってきた」という気分になるんだろうけど、その一方現世で相棒や社長や城之内くんと過ごした日々とはもう決定的に断絶している。周囲の人(神官団とか)は、当然ながら現世での王様のことは全く知らないから、三千年前のファラオに対する態度そのままでアテムに接する。現世の記憶があるのはアテム本人だけ。自分が忘れてしまえば、現世で過ごしたという事実は無くなるも同然である。無論忘れはしないだろうけど、世界の誰とも共有していない記憶は、どうしても希薄になっていくと思うわけです。「まるで夢のような時間だった」というような。 だから、社長が眼前に存在しているあの状況は、自分が現世に居たんだということの何よりの証左で、人としての存在を肯定してくれるものであって、同時に相棒や、城之内くんや、じーちゃんや、様々な人や物を思い出すきっかけにもなったりして、アテムにとっては永遠のライバルに再会したという以上に意味のあるものなんだと思う。色褪せていた映像が鮮やかさを取り戻したような、瑞々しい感動が在ったのではないだろうか… ・そういう勝手な前提(妄想)を置いてあの場面を見ると、この抑えた微笑みの裏にどれだけ喜びの感情が隠れていることか…にも関わらずそれをほとんど態度に出さない王様の性格が愛しい…威厳はんぱない… みたいに、自分の妄想から妄想を再生産出来て多幸感でいっぱいになります ・シャーディーに関する伏線を十年越しで回収すんのヤメロヨナ!!!!!(それにしても絶対これついさっき考えただろみたいな後付け設定の巧みさは健在である) ・獏良くんのお父さんがここにきて突如初登場したけどまたしてもちょっと常軌を逸してる系の人で、遊戯王クソ親父クインテット(海馬養父、マリク父、城之内父、御伽父、セト父)にメンバーが増えた ・ここまで世界の人気者藍神くんに全然言及してないですけど、藍神くんの可愛さは無論私だって認めるところだよ ・プラナと集合意識とシャーディーが結局よく分かんないうえに考察も全然してないので、藍神お前ホント可愛いなbotになるくらいしか出来ないため、発言を差し控えているんだよ ・藍神お前ホント可愛いなぁ ・どうでもいいけど、プラナの意識レベルが普通の人間の7倍ってやつ、ありがちなインフレを起こしてない妙にリアルな数値で面白い ・プラナとは「かつてアテムに仕えた者達」か? ・アテムの冥界行きがプラナの在り方のキーである以上、ファラオだった頃のアテムとプラナには何らかの繋がりがあると思われる。上でも言ってますが古代エジプト死生観では、死後も生前と同じ生活が続くとされている。王の従者は、死後も王の従者なのである。 ここでアテムについて考えると、ご存知の通り三千年前に命を落としたものの、その魂は冥界に行き損ねているから、従者達は困るんじゃないかなと思うわけです。自分が死んで冥界に行っても、仕えるはずの人が居ないから(※現実としては、次代のファラオであるセトにスライドして仕えたのでは?という意見は黙殺)(アテムの従者で、ゾークとの戦闘中に命を落とした者達、と考えると都合がいい気がする)(いわゆる殉死という文化は古代エジプトでは一般的でないはずです)。だからこそ、アテムの魂が正しく冥界へと還るまで、転生を繰り返しながら次元のはざま=現世と冥界のはざまをさ迷っていたのではないかなぁと。「転生のときプラナとなる者は自ら苦境を選ぶ」みたいなことをシャーディーが口走っていましたが、死後仕えるべき王に(理由はなんであれ)仕えていないという現状があるから、その罰としてそういう境遇を選ぶのではないか。 ・ただし、転生したプラナに記憶はない。魂の奥底にそういう志向があるというだけ。転生した人生を生きる人にとっては気の毒な話である。転生したプラナに記憶がないというか、そうやって転生を繰り返している人達のうち、何らかのきっかけで「自分が何者であるか」が分かった人が「プラナ」と呼ばれる者になるのではないだろうか。だからシャーディーも「プラナとなる者」という言い回しを用いたのではないか。いつか古のファラオの冥界行きが成るとき、自らも高次の世界(要は冥界)に行くのだと分かっている者達、それがプラナ。 で、自称「時空を旅する者」であるシャーディーは、転生したもののまだ自分がプラナだと分かっていない人を探しては、プラナとして目覚めさせていたのではないかと思っています。シャーディー(古代ではシャダ)も、高位の神官ではあるにしろ仕えるべき王を失った従者であることに変わりはなく、またセトやアイシスと違って、戦いの最中で命を落としているため、次のファラオに仕えられたわけでもない。なので、プラナ達と同様、ファラオが冥界に還るまで、中途半端な世界をずっとさ迷うことになった。プラナを目覚めさせたりしてるのは、まあ、贖罪みたいなものです。 ・アテムが冥界に還ったことで、プラナも還れるようになった。ただ、すぐ還るか還らないかはプラナ自身に委ねられており、プラナであるという認識を持ちながら、まだ現世に留まっている者も居る。これが藍神くんたち。現世に留まる理由は何でも構わない。 ・何故彼らの意識レベルは高いのか? →そもそも「高次の世界」においては、意識の共有等が出来るんだという前提が必要になるのですが…この前提があるとすると、プラナ達は次元の狭間におり、高次の世界に片足突っ込んでるから。 ・セラが危惧していた、ファラオが再び復活すればプラナは力を失ってしまうというのは、仕える人間がまた居なくなってしまうから。プラナ達にとっての高次の世界への道が開かれているタイミングは、ファラオが正しく冥界に還った(一回目)のときだけで、そこを逃しちゃうと還れないんじゃないか。王がまた復活するとかいうイレギュラーな事態には対応出来ないのだ。古代エジプト死生観は、そんなアクロバティックなトラブルシューティングはしていないのだ。 [闘いの儀より前] 【冥界】 【狭間】プラナ達、シャーディー 【現世】ファラオの魂 ↓ [闘いの儀後] 【冥界】ファラオの魂 【狭間】プラナ達、シャーディー 【現世】 冥界への扉がフリーアクセスなのは、仕えるべき王が冥界に居るこのタイミングだけ! ↓ [仮に王が復活すると] 【冥界】 【狭間】プラナ達、シャーディー 【現世】ファラオの魂 こうなるともうだめ ・vs闇堕ち藍神戦のラスト、遊戯にファラオの姿が重なるところ、あれは間違いなく冥界に還ったアテムがあの時だけ戻ってきて、遊戯の身体を借りてデュエルを完結させたということだと思われる。冥界からちょっと出てこられたのは、次元領域デュエルだったから。あれがごく短時間であるにしろ「ファラオ本人が現世に復活した」シーンだったからこそ、最後セラ達プラナは冥界に行く力を失ってしまったのであろう ・デュエルディスクを持ってないと住民登録も出来ないとか ・ブルーアイズマークの海馬建設とか ・城之内くんが抱いてる社長のイメージが笑えるとか ・ショタ獏良くん is ジャスティスとか ・モクバくんの成長が著しくていいものすぎるとか ・色々小ネタはあるんだけど、結局私が好きなのは王様なのでわすれがちです ・そしてバルト9の大喝采上映に行った まずネーミングがいいですよね よく分かってる 妹子がアニメイトのポイントで買ってきたサイリウムを携え、いざ出陣です ・満員御礼の場内は、これ所持率100%では?と思うほどの圧倒的サイリウム数で、とにかく明るかったです。CMの段階からサイリウム活躍しまくり。セブンのCMでは、軽快なBGMに乗せて赤緑オレンジの光が座席を埋め尽くします。ラストで男女がキスするエアーフランスのCMは、キスと同時に「ヒュ~~~」と囃し立てる声が会場を包みました すでに楽しい ・なんかの邦画のCMでは、「もうこんなことやめてやるよ!!!」みたいな真面目なセリフに対して「やめないでー」ってすごい軽いノリで合いの手を入れた人が居て笑いを誘っていました ・王様は黄色、相棒は赤、社長は青、藍神くんはオレンジ ・というカラーコードがなんとなくの共通認識としてあって、見せ場になると会場中がその色になる 統率されている ・社長演説シーンはみんなサイリウム振らずに高く掲げててナチの党大会みたいでした もちろん私も掲げています ・最後のシーンはね…誰も茶々を入れないでさ…会場は黄金の光(※黄色のサイリウム)で満ちていてさ…神々しかったよね… ・大喝采上映は2回行きましたが、初回の方がスクリーンが大きかったのと、なんかまだみんなどうしたらいいか分かってなくて、みんなで雰囲気を作ってこう観たいな感じがあったのがよかった ・TOHOシネマズのMX4D上映にも行った ・人生初のMX4D! そんなかんじです PR |