忍者ブログ
去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。
日々のつれづれから801トークまで
無秩序に記事が書かれています。
回覧は自己責任でお願いします。

海理/かいり:
大学院生。
フランシス兄ちゃんと誕生日一緒。
◇好きなもの
・SEED/DESTINY/00
・Sound Horizon
・YGO(DM)
・APH
・艦これ
・アスキラキラアスアスシン
 カヲシン古キョン闇表ロク刹
 朝菊独普独BA青黒
◆目下夢中なもの
・島国同盟
・榛名ちゃんと加賀さん
・日本は俺の国
・英国は俺の嫁
calendar
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
search
booklog
大学に入ってから読んだまともな本
買った本とか色々
[PR]
2025/01/18(Sat) 19:56:20
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

アニメ艦これ3話感想
2015/01/22(Thu) 23:04:08
TVアニメーション「艦隊これくしょん」が始まってから3週間が過ぎた。DMMの大ヒットゲームのアニメ化であっただけに、ファンの期待には並々ならぬものがあったが、ストーリーやキャラクターの解釈、シーンの描写を巡り、早くも様々な批判が噴出している。

 それは例えば、飢えた狼こと足柄お姉さんを合コン連敗中の行き遅れとして描くのは不愉快だとか、赤城さんの練習シーンが弓道的見地から言って正しくないだとか、吹雪の敬礼の仕方が作法に則っていないだとかである。個人的には、そんなことより大井っちがあまりにガチレズすぎて北上さん以外への当たりが非常に強く、かなり性格の悪い娘に見えることの方が気になっているのだが、まあとにかく、色々ある。

 しかし考えてみると、元々艦これというゲームにはストーリー性が希薄で(あるいは、存在するもののぼかされていて)、また戦略SLGというジャンル上、キャラクターの日常描写にはほとんど重きが置かれていない。のちに実装された時報などで、彼女達の日常や、他のキャラクターとの関係性が少し明らかになったが、それでも筋道だった一つの話と、確固たるキャラクター像を作るには到底足りず、多分にオリジナル要素を入れざるを得ない。それは各種コミカライズや小説の設定が、いずれも公式のものであるにも関わらず、少しずつ異なっていることからも明らかである。更に言えば、こうした公式の物語の設定と、二次創作での設定もまた異なっており、究極的には、250万の提督それぞれが違う舞台とキャラクターとを想定して、艦これという作品を消費しているのである。物語も、設定も、キャラクターも定まっていない作品を、皆が納得する一つのストーリーにまとめ上げるのが困難であることは、想像に難くない。

 だから私は、熱の篭った批判の数々を、「こういう見方もありなのだからアニメ化にあたっての解釈の一つとしては構わないだろう」という冷ややかな目線で見てきた。それこそ、ゲーム内での描写との間に齟齬があれば問題だろうが、別段そういった印象も受けなかった。特に、現実の作法とのギャップ――弓道の射法や旧軍の規則、史実との相違――に関するいちゃもんについては、馬鹿げているとしか言いようがない。艦これはあくまで「萌えキャラゲーだがわりと史実を反映する部分がありニヤリとする」ゲームであって、「史実をばっちり反映したうえでの萌えキャラゲー」ではないからである。艦これにおける史実要素はあくまでモチーフ、ないし+αであって、史実に沿っていないからといって批判され得るものではない。弓道に関しては、そもそも弓道メインのアニメじゃないのだからどうだっていい。加賀さんがかわいいから許せる。

 では逆に、アニメ化するうえで守るべき指針、個々の解釈の余地を挟めない部分とは何なのだろうかと考えたとき、思いつくのがゲームシステムである。大海原に出撃し、敵を倒し、母港に帰還する。ときどき新しい仲間と会う。被弾すれば入渠して回復を待つ。致命的なダメージが重なると轟沈する。無論これらも、システム上の描かれ方と、ストーリーを作るうえでの描かれ方には差が生じるだろうが、基本的にはシステムを踏襲して、システムと矛盾しない形でストーリーが作られるのが妥当であろう。

 だからこそ、3話での如月轟沈は問題なのだ。

 艦これにおいて、轟沈―艦娘ロスト―は象徴的な悲劇である。艦娘は、練度や状況に関わらず二度と戻って来ない。そのためファンの間では、轟沈の条件が徹底的に調べられており、結果、「大破状態で進軍した上で、更に耐久値以上のダメージを受けること」が条件だとされてきた。逆に言えば、中破や小破、あるいはまったくの無傷の状態から、いきなり轟沈することはあり得ないというのが定説であった。また、この設定の重さから、轟沈は非常に神経質に扱われる問題であり、いたずらに艦娘を轟沈させることは厳しいバッシングの対象となることも多かった――捨て艦戦法への嫌悪や、蒼龍が轟沈したZIP叩きなどが有名だろう。

 ところが、アニメ3話の如月の描写は、二年近くかけて浸透してきたこの定説を覆すものだった。一見無傷の艦娘が、戦闘終了(しているように見える)後、突如奇襲を受けて海へと沈んでいく。これはゲーム「艦隊これくしょん」の中では(現状ではまず間違いなく)起こり得ないことであり、となればアニメ「艦隊これくしょん」の中でも起こすべきでないイベントである。すなわち今回の騒動は、「こういう可能性もあり得るんだから自分が気に入らないからって叩くのはどうなの」という、アニメ製作サイドをフォローするような反論が出来ない点が、これまでのキャラクター解釈を巡る諍いなどと致命的に異なっており、「確実にあり得ないことが起きてしまったから非難している」という、ファンであれば当然とも言える抗議なのである。

 もちろん別の見方もある。3話で攻略作戦が行われたW島とは、史実でいうところのウェーク島を指していると思われ、日米の開戦後間もない昭和16年12月のウェーク島沖海戦で、日本軍は駆逐艦「疾風」および「如月」を失っている。疾風は艦これ未実装艦であるため、もし史実をなぞるとすれば沈むのは如月である。アニメ「艦隊これくしょん」が守るべき指針は70年前の史実だとすれば、その指針に沿って進んだ以上、如月の轟沈は避けられない。もしそのつもりならば、最終回までに恐らくほとんどの艦娘が退場することになるわけだが…(私のお嫁さんは呉で浮き砲台やって終戦まで生き残るので安心しています)。

 艦これにとって轟沈は無くてはならないものである。アニメでも描かれる可能性は十分あっただろうし、むしろ真摯にアニメ化するつもりであれば、描かれなければならなかっただろう。しかし述べてきたように、轟沈は非常に重い意味を持つ現象なのだ。描くのならばもっと丁寧に描くべきだったのではないだろうか。如月が戦闘で負傷するシーンを入れるだけでも、印象が全く異なったはずだ。

 比較的能天気に、鷹揚な心でアニメを鑑賞する私から見ても、納得のいかない展開であった。何より、明確な理由も大義もなく、ただ「悲劇の演出」のためだけにいきなり轟沈させられた如月が可哀想だ。どうせ最後には如月も帰ってきてハッピーエンドになるんだろと思ってはいるものの、あまり愉快な運び方ではないのは確かである。
PR
忍者ブログ [PR]

Designed by A.com