去り行く一切は、比喩に過ぎない。
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海理の運営する個人ブログです。 日々のつれづれから801トークまで 無秩序に記事が書かれています。 回覧は自己責任でお願いします。 海理/かいり: 大学院生。 フランシス兄ちゃんと誕生日一緒。 ◇好きなもの ・SEED/DESTINY/00 ・Sound Horizon ・YGO(DM) ・APH ・艦これ ・アスキラキラアスアスシン カヲシン古キョン闇表ロク刹 朝菊独普独BA青黒 ◆目下夢中なもの ・島国同盟 ・榛名ちゃんと加賀さん ・日本は俺の国 ・英国は俺の嫁
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イギリス王朝史
2009/01/25(Sun) 05:29:30
【七王国(ヘプターキー)】
5C後半。ブリテン島南部。アングロサクソン系のゲルマン人による7つの王国成立。 ↓ 【イングランド王国(アングロ=サクソン朝)】 七王国がなんとなくまとまって一つの王国に。 9C頃から、同じくアングロサクソン系のデーン人の侵入を受ける。 ↓ 【デーン朝】 1016~1062。デーン人のクヌートが起こす。彼の死後国内混乱。 ↓ 【アングロ=サクソン朝】 1062~1066。イングランド王国時代のがちょっとだけ復活した。 ↓ 【ノルマン朝】 1066~1154。イングランドを征服したノルマンディー公ウィリアムが起こす。 ウィリアムはフランス系のお貴族様で、 フランス北方・ノルマンディーに所領を持ってた。 イギリス王の所領=イギリスの所領⇒ノルマンディーはイギリス領 となるのが気に入らなかったフランス王はウィリアムに言います。 仏「ノルマンディー返せよ」 ウ「やーだよー☆」 この辺からイギリスとフランスの犬猿の仲が始まりました。 ウィリアムはフランス国王の臣下なのにイギリス国王という これまたイギリスとフランスの力関係を微妙にする事実も手伝った模様。 ↓ 【プランタジネット朝】 1154~1399。初代国王のヘンリ2世はこれまたフランスの、 しかも今度はフランスの西半分くらいを領有する大貴族だったため フランスの西半分は実質イギリスのものに。 これが百年戦争を招き、敗北したイギリスは大陸での拠点をカレー以外失った。 欠地王という素敵なあだ名に定評のあるジョンジョンが即位してたのはこの王朝。 ↓ 【ばら戦争】 1455~1485。百年戦争が終結したと思ったら始まったイギリスの内輪もめ。 赤ばらの紋章のランカスター家と白ばらの紋章のヨーク家が王位を巡って争う。 結局勝ったランカスター家がヨーク家から嫁もらって和解。 ↓ 【テューダー朝】 1485~1603。ヘンリ8世、メアリ1世、エリザベス1世が有名か。 ヘンリ8世はスペインからもらった奥さんと離婚したいがために ローマ教皇に反目してイギリス国教会作った人。 6回結婚してる。つまり5回離婚してる。 ヘンリ8世自身はカトリックでルターの宗教政策にも反対している身でありながら カトリックから進んで離脱するとはこれいかに。 王が言い出し議会を押さえ込み宗教改革がなされたという点から、 当時のイギリスにおける王権の強大さが伺える。 メアリ1世は親カトリック政策とそれに伴う弾圧でブラッディ・メアリとあだ名された女王。 ヘンリ8世と最初の奥さんカザリンとの子でバリバリのカトリック。 つまりイギリス国教会が母親を王家から追い出したわけで、 まぁそんなもの好きになれるはずないよね。 エリザベス1世はヘンリ8世と愛人アン=ブーリンの子。 そゆわけで特にイギリス国教会に抵抗とかないので戻しました。 スペインの誇る無敵艦隊をフルボッコにしたのはこの女王。 この頃の商業重視政策が功を奏して、イギリスは徐々に強大な国になっていく。 (※テューダー朝までは欧州のメインは大陸で、イギリスは所詮田舎国家だった) ところがエリーが世継ぎを儲けていなかったのでここで断絶。 ↓ 【スチュアート朝】 1371~1714。スコットランド王ジェームズ1世を引っ張ってきて王位につけた。 そのジェームズの母メアリ=スチュアートはエリーに処刑されてたりするわけだが 欧米事情は複雑怪奇です。 なんだか色々あって多額の賠償金を払わなきゃいけなくなり、 王は課税を要求するが、議会がそれを認めなかった。 ↓ 【共和制(コモンウェルス)】 1649~1660。ピューリタン革命(1641~1649)を経て成立したイギリス初の共和制。 実質的にはクロムウェルの独裁だったけど。 クロムウェルの後を継いだ息子があんまりに無能で立ち行かなくなる。 ↓ 【スチュアート朝】 馬鹿息子に国を牛耳られるくらいなら 議会の言うこと聞いてくれる王様居た方がいいよね、というわけで王政復古。 議会に従うことを条件にフランスに亡命してたチャールズ2世を王位につけるが コイツもそのあとのジェームズ2世も当然従わなかったので 名誉革命(1688~1689)が起こった。 ジェームズ2世が追い払われてオランダのウィリアム3世が王位に。立憲政治始まる。 ↓ 【ハノーヴァー朝】 1714~1917(血統的には現代まで。 ジェームズ1世のひまごのジョージ1世(ハノーヴァー選帝侯)を 引っ張ってきて王位につける。彼はドイツ語しか理解出来なかったので政治には 一切参加せず、王は君臨すれども統治せずという伝統はこっから始まる。 ↓ 【ウィンザー朝】 1917~。WW1の時、ハノーヴァーが敵国ドイツの地名だったことから改名した。 ウィンザーの名は王宮のあるウィンザー城にちなむ。 PR |