去り行く一切は、比喩に過ぎない。
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当ブログ【飴/色/信/号】は
海理の運営する個人ブログです。 日々のつれづれから801トークまで 無秩序に記事が書かれています。 回覧は自己責任でお願いします。 海理/かいり: 大学院生。 フランシス兄ちゃんと誕生日一緒。 ◇好きなもの ・SEED/DESTINY/00 ・Sound Horizon ・YGO(DM) ・APH ・艦これ ・アスキラキラアスアスシン カヲシン古キョン闇表ロク刹 朝菊独普独BA青黒 ◆目下夢中なもの ・島国同盟 ・榛名ちゃんと加賀さん ・日本は俺の国 ・英国は俺の嫁
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大学に入ってから読んだまともな本
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2025/01/19(Sun) 12:26:39
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⑥( )協約(1902)
2009/02/12(Thu) 23:24:09
今日は親分の誕生日ですね。
うん、まぁ、それよりは今日の日本史でやった日英同盟の方が大事なんだけどね。 そんな感じで始まる私による私のための日本史まとめ! ◆日露戦争前夜の列強による中国分割 租借≒植民地化 ・ドイツ 山東省でドイツ人が殺されたのを言い分として →膠州湾+実質山東省を租借(1898)・鉄道敷設 ・ロシア 遼東半島南部(旅順・大連といった港町)租借(1898) 遼東半島を日本から取り戻したことへの見返りと租借権により →東清鉄道(南部支線)敷設権(1896) 日本から遼東半島奪っといてこの仕打ち\(^o^)/ ・イギリス 旅順・大連まで南下してきたロシアに対抗し →威海衛・九龍半島租借(1898) ・フランス 以前ベトナム(現・仏領インドシナ)を賭けて清と争ったのでその近くに →広州湾租借(1899) ・日本 獲得した台湾の向かい側である地 →福建省の他国への不割譲決定(1898) ・アメリカ合衆国 1898年まで行っていたスペインとの戦争で出遅れる また、当初はモンロー宣言により中国には不介入だった →国務長官ジョン・ヘイ、対華三原則(領土保全・門戸開放・機会均等)を 中国へ進出している国々に示す …貿易活動において、中国市場に割り込むことが目的 ◆北清事変(義和団の乱)起こる(1900) 山東省での鉄道敷設により高まりつつあった民衆感情が爆発し、 義和団は扶清滅洋(清を扶け西洋を滅ぼす)をスローガンに 鉄道破壊・宣教師殺害などを行いながら北京を目指した。 ※義和団は東洋の教えと武道が結びついた宗教団体 外国から乱を鎮めるようにと頼まれた北京政府は、 一度は義和団を利用して外国を追い出そうと考えたため 義和団に悪乗りして諸国に宣戦布告してみるが、 民衆の怒りの矛先が清朝に向かうかもしれないと考え 最終的に義和団には反対の考えを示して北京を捨て逃亡。 日露を中心とした各国の連合軍が出兵し乱を鎮圧した。 この時の連合軍は日英独仏露米伊墺の豪華8ヶ国構成。 人はこれをフルボッコといいます。 事変が収まり、北京議定書(1901)締結。 列国は北京公使館守護兵の駐留権を得る。 また、賠償金の支払いも行われたが日本が得たのは働きに比さない8%。 しかし、「極東の憲兵(※褒め言葉です)」とまで言わしめた活躍など、 日本の地位の国際的な高まりを感じる。 ◆満州をめぐる日英露 敷設中の鉄道を義和団の残党から守るという名目で、 南大好き露軍18万人が満州を占領・韓国内での露勢力拡大。 日本の利益と衝突する。 ・揚子江協定(1900.10) 清の保全(先に土地を得た露を認めない目的)・開放を提唱 しかし独が「満州のみを適応地域から外す」とした …独と露は近東問題で対立中だったため露の目を極東に向けたかった 露は大韓の中立化を提唱→「満州までの支配を許すことになる」として日本が拒絶 そうこうしているうちにシベリア鉄道がハルビンまで開通(1902) ・満韓交換論(日露協商論)と日英同盟論 前者は「日の韓国支配を認めさせる代わりに露の満州支配を認める」 という伊藤博文の主張。 脅威である露とはむしろ手を組むべきだという考えからきたもの。 問題点としては、果たして露が韓国の支配を認めるのかという。 後者は英と組んで露進出を牽制するという山縣有朋らの主張。 条約を平気で破ることに定評のある露に朝鮮も全部取られてからじゃ遅い、 という考えからきたもの。 問題点としては、「名誉ある孤立」を続ける英が同盟を、 しかも日本などという新興国と結ぶのかという。 ・日英同盟成立(1902.1.30) 結局両論を同時進行で進めていたらこちらが先に成立した。 各国との対等な同盟関係を結んでいなかった絶賛孤立中の天下の大英帝国様が 同盟!?しかも日本ってあれだろあの極東のちっぽけな… そういうわけで世界を驚かせた同盟。 6条からなる、露を対象とした防守同盟(5年間) 1.清韓両国における日英両国の利益保護の共同行動 2.利益保護のための戦争における、他の一国の厳正中立 3.第三国参戦の際の共同戦闘の義務 を定めた。 日本としては、仮に露と開戦したとして露仏同盟の関係で参戦してくる 仏の存在が非常にやっかいだと考えていたため、 その意味でもこの同盟は有効だった。 (日露の戦いに仏が参戦した際には英も露仏に即時宣戦布告しなければならないから) ・その後の露の動き 1902.4 満州還付条約:露と清の条約・6ヶ月おきに3回に分けて撤退するとした 1902.10 第1回撤退(…⇒ここから次の撤退までの間に、露内での宮廷勢力図が変化) 1903.4 撤退予定だったにも関わらず、奉天・営口の軍が大韓に侵入、龍厳浦に軍事基地 1903.7 東清鉄道・チタ~ウラジオ間完成 1903.8 旅順の要塞を強化 PR |