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去り行く一切は、比喩に過ぎない。
CAUTON!
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海理/かいり:
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大日本帝国中流家庭小市民
2009/12/06(Sun) 09:39:23
今週のヘタリアニメ最後


『あの感動が再び蘇る――』

(BGM:独立戦争のときのアレ)


ってバーンと出た時
「ああやべえな本当に映画も独立戦争やるんだ(なにかが)なにもかも終わった」
と即座に考えた人はそう少なくなかったと思う。
サウンドワールドのCMでした。
BGはずっと独立戦争でした。
イタちゃん映してやれw
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ださい
イギリス


ではないですね

買い物代行のお礼にとクッキーを頂きました。
今までのアルティメットなんたらとかイタリアンなんちゃらとかの
ネタ菓子ばかり口にしてはあの国を馬鹿にして愛しんで参りましたが、
さすが正統派焼菓子というべきか、美味しいです。
クッキーとか焼いたケーキとかはほどよい甘さで美味しいのに
キャラメル系は「料理長を呼べ」レベルでクオリティが違うのが謎
ご無沙汰しております。
この2週間で、カイトにいさんのフィギュアが仲間入りしたとか
また同人誌買っちゃったぜとか
アクエンアテンが好きになったとか
初めてラピュタをみた(※映画)とか
遊戯王の映画のCM観て昂ぶりまくったとか
アメリカのキャラソン買ったぜとか
ドラマパート米英乙^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^とか
様々色々言いたいことがあったのですが機を逃し続けてそのままです。
いざ書こうと思うといちいち長くしないと気が済まないのが敗因だと私はそう思う。

いつぞやかりりいさんと
「追い込み期における『受験の天王山』に代わる
 新しい文句として『受験の7週間戦争』はどうか」
ということについて話したのですが
当時は冗談めかして言っていたにも関わらず気付いたら突入していますね。
オーストリアさんみたいにならないことにしないと!
その昔ってほど昔ではない20世紀も後半、イギリスとアイスランドの間で、
タラ戦争という名前からもうファニーな戦争がありました。
アイスランドは食料を水産資源に大きく依存していたのですが、
WWII後、主にイギリスの大型トロール船がやってきて
アイスランド近海の水産資源を漁獲していくようになったのであら大変。
明らかな漁獲高の減少に直面したアイスランドは、領海や経済水域を設定して、
自国資源の保護・管理とトロール船の閉め出しを行おうとしました。
対しイギリスは軍艦を派遣して漁船を保護するも、
EECやNATOとの交渉の結果、アイスランドに妥協することになりました。
1958~76年に3回ほど起きたとされるこの戦争は、
当時展開されていたCold Warを文字ってCod Warと呼ばれるのでした。



ネーミングのあまりの馬鹿ばかしさは大変印象に残っていたのですが、
ここでいざ「経緯を書け」という問に直面すると
「タラ巡ってアイスランドがイギリスに発砲した」
(大事には至らなかったものの実際に砲弾が飛んだらしい)
ことしか思い出せなかった
逆運に勇ましき胸を向けよ。
2009/11/12(Thu) 21:37:08
東洋の眠れる獅子と畏怖された中国が
気付いたらみんなに切り売りされてた


◆英国と清国の貿易模様
18世紀前半までは英清間の貿易は清国優位に行われていました。
清は貿易を朝貢形式しか認めず、貿易港も広州一港のみ。
またイギリスは清から茶・木綿・生糸・絹織物・陶磁器などなど
様々に輸入したいものがあったのですが、
対して清がイギリスから輸入したいものなんて何もありません。
イギリスが輸出可能なものといえば毛織物でしょうが、
上等な綿織物・絹織物が国内で生産出来る清には不必要だからです。

清(公行)からの物品の輸入のために
イギリス(東インド会社)からは銀が大量に流出、
貿易は常にイギリスの輸入超過状態でした。

しかし、産業革命が進展したことで、イギリス国内では
自由貿易を求める声が大きくなってきており、
清に於いても現在の状況を打開することが必要でした。
イギリスは数度に渡り使節を派遣して自由貿易を打診しますが清は応じず。
(マカートニー<1793>・アマースト<1816>・ネーピア<1834>とか)
清はそもそも外国すべて朝貢国だと考えてるんで、
丁寧に対応はするものの要求に応じる気はさらさらないんですね。
しかしイギリスもイギリスで清のことちょっと見下してるという。
平和裏な交渉の裏では互いに
英「東洋の遅れた野蛮国家と対等に付き合うつもりはねぇよ」
清「朝貢国風情と対等に付き合ってやる道理はねぇあるよ」
と思い合っているのが爆笑である。

ここで考え出されたのが、悪名高い阿片三角貿易。
まずイギリスはインド支配を進めて阿片の生産量を確保。
その阿片を清に輸出することで、銀の回収に成功しました。
清からは大量の銀が流出、更に阿片は深刻な社会問題を引き起こします。



◆アヘン戦争
この状況に痺れを切らした清の道光帝は、欽差大臣の林則徐を広州へ派遣。
阿片の没収及び廃棄・イギリスとの貿易禁止を決定します。
もちろんイギリスが清のこの態度に黙っているわけがありません。
1840年艦隊で広州を攻撃、清側の平英団の活躍なんかもちょっぴりありましたが、
当然ながらイギリスが勝利しました。
ちなみにイギリスでも全員がこの阿片に端を発する戦争にノリノリだったわけではなく、
議会で開戦するか否かの決を採った際も、賛成271・反対262という結果でした。
反対した有名人としては、グラッドストン・コブデン・ブライトなどが名を連ねています。


◆南京条約
アヘン戦争の講和条約として結ばれたのがこの南京条約。(1842)

・香港をイギリスに割譲せよ
・広州含め5港を開港すること
・公行廃止
・賠償金払え(戦費に加え、廃棄された阿片代金も含む)

がその内容で、更に翌年結ばれた虎門寨追加条約によって、
清は初めての不平等条約を結ぶことになってしまいました。
更に同内容の条約をアメリカ(1844・望厦条約)・フランス(1844・黄埔条約)とも
結んでしまったからさあ大変。
というのも、複数国家に片務的最恵国待遇を与えることで、
その国家間で互いに牽制し合う必要が無くなり、侵略が進むうえに
共同侵略してくる可能性まであるからです。

こうして列強に侵略される準備が整った清ですが、政府側は
「都合悪ぃ条約なんて守んなきゃいーあるm9(^Д^)」
と思っていたうえに、領事裁判権の恐ろしさも知りませんでした。
二千年の長きに渡り東洋の中心国家として君臨していた清もとい中国なので、
外交なんで今まで考える必要もなく、従ってド素人もいいとこだったからです。


◆先生!イギリスくんがまた何かたくらんでます!
アヘン戦争後、開港させたはいいものの期待したほど貿易額が伸びなかったイギリス。
イギリスが条約改定及び貿易拡大を虎視眈々と狙う中、アロー号事件が起こります。
詳しくはこちらをご覧下さい。
これは好機とイギリスは悪友フランスを誘って清との戦争を開始します。
イギリス・フランスとも国内には反対意見も多かったのですが、
時のフランス最高権力者は皇帝ナポレオン三世。
民心を掴むため遠征ばかりしていた彼が、この誘いに乗らないはずがありません。ばk

共同出兵の結果、清との間に1858年天津条約を結ぶものの、
清側がこれの批准を拒否したため戦争再開。
両軍は北京を占領し、この際に円明園という清のバロック建築を破壊しています。
北京条約が結ばれて戦争は終結しました。


◆北京条約
アロー戦争の講和条約。(1860)

・外国公使を北京に駐在させること
・天津含め内陸部の11港開港しろ
・キリスト教布教を自由化
・イギリス様に九竜半島南部よこせ
・中国内地における外国人旅行を自由化せよ
・阿片貿易自由化しろ(※イギリス本国では違法行為である)
・賠償金払え

が、その内容です。
反故になった天津条約に、天津開港・九竜半島割譲・賠償金増額
が加わっています。


◆清ですが、未来がないです
諸外国の圧迫を受け、また外国商品流入で自給自足体制が崩れた清では、
社会に大きな変化が起きていました。
とりあえず外交にもうちょい真面目になってみようと思って、
総理各国事務衙門という外交機関を作りました。
四千年の歴史を有しながら1861年のこれが初の外交機関なのがわろすわろす
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