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去り行く一切は、比喩に過ぎない。
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2025/01/18(Sat) 22:20:47
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MO☆E☆RU
そういうわけで今週の日本史のコーナーです。お察しの通り今作りました。

◆通商条約
1854年の和親条約を経て、めでたく日本を家から引きずり出したアメリカですが、
日本が開港を許したのは下田と函館、あとは長崎の三箇所だけ。
鯨漁の際の燃料・食料を供給してもらうのが開国要求の最たる目的だったとはいえ、
段々と「せっかくだしもう貿易してくれてもいいんじゃないかなー」という
思いを強め出します。
1856年以降、領事として日本に着任していたハリスは、
1858年、時の老中堀田正睦と通商条約締結について交渉を始めました。
ここで交渉の切り札、またの名を脅し文句として利用されたのが、
アロー号事件(アロー戦争)、そしてそれに伴う天津・北京条約でした。

※アヘン戦争後の南京条約により、
 優位に対清貿易を行えることとなったイギリスですが、
 開港はしたものの内地へ入ることは認められず、
 また清国内での反英運動もあって、
 期待した程の利益は上がりませんでした。
 そのためイギリス政界では、
 戦争を起こしてでも条約改正を求めるべきだとの意見が強くなってきました。

 その絶好の口実とされたのがアロー号事件です。
 1856年10月8日、清はイギリス船籍を名乗る中国船アロー号に臨検を行い、
 清人船員12名を海賊の容疑で逮捕しました。
 この船員逮捕は全くの合法だったのですが、
 当時の広東領事パークスは
 イギリス船籍の船に対する清の臨検は不当である、
 また逮捕時に清が英国旗を引きずり下ろした事は
 我が大英帝国に対する侮辱だと難癖をつけます。

 ついでに、フランス人宣教師が広西省で殺害された事件も利用。
 イギリスはフランスのナポレオン3世を誘って清に宣戦布告しました。

 英仏連合軍は広州を占領、その後天津に迫ったため清は降伏し
 天津条約が結ばれますが、清はこれを批准しませんでした。
 当然ながら戦争が再会され、英仏軍は今度は北京を占領。
 1860年、北京条約が結ばれます。
 この条約により、清は天津の開港、イギリスへの九竜半島の割譲、
 中国人の海外への渡航許可(→海外で労働力として使用される)などを
 認めなければなりませんでした。

つまりは
「また頑固になってると(清みたいに)イギリスが来ちゃうよ?
 イギリスはひどいからねー…どんなことされるかわかんないよ?」
(※↑補足箇所以外は先生の言った原文まま)
だからさっさと条約結びなよ。とそういう意図だったわけですね。
日本の弱いところを突いた、実に嫌な攻撃だと思います。そこに痺れて憧れる。
にしても清での一連のアーサーの鬼畜っぷりに嫉妬(^q^)

結局、堀田が条約調印の許可を求めて上洛していたスキに
大老の地位についた井伊直弼が条約に調印。
1858年7月29日、日米修好通商条約が結ばれました。
同様の条約は英・仏・蘭・露とも結ばれ、まとめて安政五カ国条約と呼ばれます。
治外法権に協定関税にと、これはいい不平等条約^^なわけですが、
まぁ国力が無い以上どうしようもないので日本は1860年これを批准しました。
こうして、日本は諸外国との貿易を開始したのでした。

◆貿易模様
全貿易量の80%が神奈川・横浜で取引されていました。
貿易相手国は80%がイギリス。
アメリカは南北戦争で忙しかったのであんま来なかったのですね。
輸入品はイギリスお得意の毛織物・綿織物・あとは武器とか戦艦とか。
日本からの輸出品は、生糸がこれまた80%を占め、他は茶や海産物など。
お茶は当然日本茶なわけですが、煎って紅茶として飲まれたそうです。
この紅茶エピソードだけで小話が書ける。
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